リパック(市川諭社長)は、機密文書などを処理する環境関係の会社である。「リサイクル&セキュリティ」を掲げ、機密保持などセキュリティを重視した事業を展開している。
会社の設立は1995年で、本社の他に川崎営業所(川崎市川崎区)があり、東京、神奈川、埼玉、千葉、茨城の1都4県で産業廃棄物収集運搬業を行っている。その他の地域は機密情報抹消事業協議会(KJMJK)のメンバー企業と提携し、全国的なサービス体制を敷いている。一般貨物自動車運送事業や古物商のほかISO27001の認証も取得している。 市川社長は、最初は大手紙コップメーカーに就職。「紙コップの営業をしていたが、10年で独立することを考えていた」(市川社長)という。
紙コップを販売している当時の事である。1986年に伊豆大島の三原山が噴火し、多くの島民が避難を余儀なくされた。そこで自分たちの会社も支援できないかと、商品である紙コップを寄贈して役立ててもらおうと東京都庁に話を持って行った。だが、「紙コップはリサイクルできないので、禁忌にして不適切といわれた」(市川社長)のだという。
当時の紙コップは水漏れしないように内側にはパラフィンがラミネートされていた。外側の印刷も、その頃はインクの分離が難しかったのである。現在は両面ラミネートが多くなり、また、脱墨技術も向上しているが、当時、紙コップはリサイクルができなかった。
そんな経験もしたが、1992年に独立し1995年に法人を設立した。独立した当初は使用済みのインクリボンを回収するような仕事をしていた。紙コップをオフィスに販売していた時の関係などから、事務所で排出されるインクリボンのリサイクルに関わったのである。「ハイエース1台から始めた」(市川社長)という。
その後、インクリボンはトナーになってきた。だが、「トナーのところには紙がある。プリンタのところには紙があり、ニーズがあった」(市川社長)。このようなことから、自然の流れで紙のリサイクルに入って行った。ちょうどその頃、ISOの環境への関心が高まったことも追い風になったようだ。
やがて機密保護が問題視されるようになり「セキュリティがリサイクルより重視されるようになってきた」(市川社長)。そこでメインを機密文書の処理にシフトしたのである。取引先は、機密文書を大量に排出する大企業が主で、固定的な契約になっている。
このような中でリパックでは2000年ごろに「ピコリコボックス」を独自に開発した。これはキャスターの付いた595×495×1320mmのボックスで、契約先においておく。顧客は廃棄する書類をそのままボックスに投入するだけで良い。リパックは空のボックスをもって行き、廃棄書類が入ったボックスを回収。これらはGPS追跡機能や車両盗難防止警報装置が付いた専用車両で行う。機密文書管理などセキュリティのためである。回収した機密文書は委託先の製紙会社の工場で溶解処理するという仕組みだ。もちろん、ピコリコボックス以外のリサイクルサービスも行っている。
保有車両は軽から4t車まで10台。ビルの地下などにも入れるように荷台の車高が上下するウィング車もある。
回収した機密文書などは東京、静岡、神奈川、埼玉の製紙会社の工場に搬入して、処理を委託している。だが、今年6月に静岡に自社の処理場が完成したので、「メインを静岡にシフトしたい」(市川社長)考えだ。「潜在市場はあるので、自社の処理場完成を機に攻勢に出たい。そのためにはドライバーの確保が重要」(同)という。