キャリーカーによる自動車陸送の老舗事業者


富士陸運(相澤一喜社長)は、1956年に群馬県伊勢崎市で富士自動車輸送として会社を設立した。1960年には太田市に本社ならびに営業所を移転し、その後、1968年には川崎市に本社を移転すると同時に現在の社名に改称している。

当初は富士産業(その後は富士重工業を経て現在はSUBARU)のバスの自走からスタートした(バスやトラックは納品する車を運送会社のドライバーが運転して輸送するため業界では「自走」と呼んでいる)。だが現在ではキャリーカーによる陸送がほぼ100%である。なお、会社名の「富士」も取引先である富士産業(当時)から採ったようだ。

現在では本社営業所の他に追浜営業所、太田営業所、仙台営業所、川崎ヤードがある。このうち川崎ヤードは中古車の中継基地となっている。取引先はスバルを筆頭にニッサン、トヨタ、マツダ各社の新車、さらに中古車の陸送も行っている。従業員数は85人で、保有車両数はトレーラが53セット、大型増トン車が10台で、いずれもキャリーカーだ。

自動車の陸送では、「キャリーカーに自動車を傷つけずに積み込んだり、キャリーカーから自動車を降ろすにはスキルが必要で、入社してからの社内研修も充実させています」(斎藤淳一本社営業部部長)という。

同社では、基本的には各営業所を起点に仕事を組み立てている。たとえば追浜営業所から出発したキャリーカーは、北関東や甲信越に新車を運ぶ。その帰りには、太田から車を積んで輸送してくることが多い。同じように太田営業所からは仙台や川崎に自動車を運んでいる。また、千葉まで船で海上輸送されてきた自動車を北関東に運ぶような仕事もある。

これら新車の輸送先にはディーラーへの納車もあるが、ほとんどは納整センターや、輸出向けなら港への輸送が多い。乗用車の場合、自動車工場からはスタンダードな仕様で出荷される。だが、顧客からは何々をつけてほしい、といったオプションのオーダーが入る。納整センターというのは、そのような顧客からのオプションに応じてカスタマイズするセンターである。これらのオプションには「メーカー・オプションとディーラー・オプションがあるが、ディーラー・オプションが多い」(斎藤部長)という。

キャリーカーは特殊車両のため、自動車以外の一般の荷物を積むことは難しい。そのため、「往復で自動車を積んで運べるように運行計画を立てることが、会社の利益を大きく左右する」(斎藤部長)。キャリーカーを往復で実車運行するには、帰りに運んでくる自動車の確保が重要だが、往復とも新車を積んで運ぶのは難しいため、中古車の陸送需要の開拓がカギになる。同時にドライバーの労働時間短縮も推進しなければならない。そこで、たとえば川崎から仙台に新車を運び、仙台からの帰りの荷物はないが、山形から川崎に運ぶ中古車ならあるとしよう。すると山形から仙台までは地元の陸送事業者に委託して運んでもらい、川崎から仙台に行ったドライバーは、山形からの中古車をすぐに積んで帰れるようにするといった工夫と努力をしている。

中古車輸送では、輸出向け中古車はヤードから大黒ふ頭や本牧ふ頭などに運ぶ。また、全国で開かれる中古車のオークション会場間輸送もある。だが、地方の輸送に関しては各地の協力会社に委託して、自社のドライバーの労働時間短縮に勤めている。

今後の事業展開としては、「納整センターから先の1台積の陸送や、ネットオークションで売買された中古車の引き取りと納車および名義変更手続きなど、付加価値の高いサービス」(斎藤部長)にも積極的に進出していく方向のようだ。