ある上場会社の社長(現在は相談役)の話である。
雑談で、同業他社の社長との交友関係などを話していた際のことである。幾人かの親しい社長の、経営者としてそれぞれに優れている点を説明していたのだが、その中のある社長について、彼は経営者として非常に優れている、すごい人だという評価を披歴した。
そこで、なぜその人が経営者として優れているのか、理由を尋ねた。すると、その社長は即座に、「彼は社長という役を完璧に演じることができる。社長という役に徹しているからだ」、と答えた。
個人としてではなく、社長という役に徹して見事に演じきることができるかどうか。社長という役を完璧に演じきれる人が優れた経営者なのだという。
非常に含蓄のある表現だなと強く感じ、今でも鮮明に印象に残っている。そのような眼で見ると、たしかに経営者像が見えてくる。
ところが、社長としての演技を勘違いしている経営者もいる。その典型ともいうべきタイプが、自社の社員や仕入れ先など、自分が優位性をもって接することのできる人たちに対しては、極めて尊大な態度を取る経営者である。
このような経営者は、自分のような第三者の立場からみていて、決して快いものではない。中には嫌悪感を覚えるような人もいる。
このように下に向かっては必要以上に威張るタイプの経営者には共通性がある。それは、大手の取引先の役員クラスなどを目の前にすると、たちまち卑屈としか表現できないような態度に豹変するということだ。
もちろん、顧客に接する場合の常識的なマナーや態度はあるだろう。しかし、それは謙るということではない。
取引は平等な契約関係なのだから、本来は上下の関係などではないはずだ。むろん、お客様に接するという姿勢は大切だが、それは卑屈になることとは違う。
これは社長としての演技などとは全く異なる次元の問題だ。一方に向かって尊大な態度を取るような人間は、必然的に、他方に向かっては卑屈な態度を取るようになる。優越感と劣等感は、いわばコインの裏表なのである。このような経営者は低額なコインということができる。
それに対して優れた経営者は、社員や仕入れ先、下請け企業などに対しても尊大な態度などは取らない。
一方、大事な取引先であっても、契約交渉などにおいて自社の立場を毅然として主張する。筆者はこのような優れた経営者をこれまで多数みてきた。
社長としての役を演じきれる人が優れた経営者なのである。