優れた社長は社長という役を演じ切っている⑤

本当の自分と社長としての台詞


取材で様ざまな経営者に会うと、経営手腕だけでなく、それぞれの性格や人間としての器、品格といったものもみえてくる。

小規模な企業の経営者でも、人物としては大きさを感じることもある。このような経営者の会社なら、いずれ発展するだろうという期待感が持てる。反対に、規模の大きな会社の経営者でも器が小さく、品がないな、と感じることもある。

そんな時には、現在は社歴という「遺産」で何とか経営が成り立っているが、将来は大丈夫だろうか、などと思ってしまう。

経営者としての能力という点ではどうか。この社長は人が良いなという方は少なくない。しかし、経営者としては弱いな、と感じる人もいる。人が良いために、経営者として修羅場を潜らなければならない時に、はたして大丈夫だろうかという危惧があるような経営者である。

このような経営者は経営が順調にいっている時は良いが、経済環境が厳しくなると経営を維持できなくなる。実際に、そのようなケースも目にしてきた。

また、経営者として弱いと感じさせるような人の中には、理想論者も少なくない。このような経営者は、経営に対して素晴らしい理想は持っているのだが、実行性に乏しい。自説を得とくと唱えるのだが、社内の「空気」とは遠く隔たりがある。だから、話を聞いていても空しさを感じるのだ。

もちろん、優れた経営者は企業の将来や経営の在り方などについて、それぞれに理想をもっている。それを実現するように具体化を推進している経営者は、経営者としての強さを感じさせるのである。

この違いが企業の業績や成長の差となって現れる。

経営者であれば誰しも、自分の会社が現状で良いとは思っていない。日本に会社企業が150万社あるとすれば、150万人の社長が、会社を発展させたいと思っている。その思いは全国150万の社長が全員同じなのである。

だが、現実には好業績を上げ、発展している企業もあれば、反対に業績が好ましくなく徐じょに衰退傾向の企業もある。

つまり、会社を良くしたいという思いは同じであったとしても、企業間の格差はどこから生じるかと言えば、「会社を良くしたい」と「会社を良くする」の差なのである。こうしたいという思いだけか、それを実現するために行動するかの違いである。

人は良いし個人的には好感が持てる社長でも、経営者としては弱いと感じさせる人は、たいがい前者である。それに対して、個人的には遠慮したいなと思うような社長でも、経営者として強い人は、後者である。もちろん人物的にも好感が持てて経営者としても強さを感じさせる社長が一番好ましい。