苦しい時の恩を忘れず「できない、とは言わない」


 関翔運輸(関根隆会長、関根穣二社長)の設立は2008年9月で、今月でちょうど9年という若い会社である。そもそも会社を設立した経緯がドラマチックだ。

 

 関根隆会長がドライバーとして働いていた会社が破産したのである。最盛期には100人ぐらいのドライバーがいた運送会社である。ところが普通の破産ではない。

 ドライバーに過ぎなかった関根会長は、当然、役員ではないので経営責任など何もない。ところが関根会長のところに債権者から連絡が入った。そこで初めて分かったことは、「知らない間に、登記上で代表者にされていた」(関根会長)ということだった。

 寝耳に水とはこのことである。本人の承諾もなく代表取締役として登記する行為は、おそらく法的には私文書偽造などに抵触するだろうと思われる。計画的な倒産であり、債務責任の転嫁だ。しかし、登記上では債務者になってしまっていた。

 前経営者とのいきさつや、債務の返済などについては、関係者に差し障りがあるといけないのでこれ以上の詳細は割愛する。ともかく、このような経緯から、関翔運輸の設立に至ったのである。前の会社でドライバーとして働いていた7人(関根会長を含む)での新会社スタートであった。車両数も最低保有台数の5台である。なお、関根穣二社長は、会長と同じ関根だが、姻戚関係などではないという。

 関根会長が前の会社でドライバーとして働いている当時、集荷などに行っていた取引先の1つに中堅事業者のセンターがあった。この中堅事業者の役員の1人が、設立間もない新会社に仕事の案件をもってきてくれるなど、取引先にも恵まれてその後、順調に事業を伸ばすことができた。

 現在では2t車から大型車(13t車)まで保有車両数は52台。ドライバーは48人で、そのうちの3人は女性ドライバーである。もともとドライバーだった関根会長は自身の経験もあって「車中泊は良くないので、長距離輸送の仕事はやらせたくない」と、基本的には長距離輸送はしていない。だが、13tワイド車の1台だけは地元と名古屋をピストン輸送している。地元で積んだ荷物を名古屋に運び、荷物を降ろしたら帰りの荷物を積み込んで1泊して帰ってくるという運行だ。この車両に乗務しているのが3人いる女性ドライバー中の1人だという。

 関翔運輸の売上の約60%はスーパーの配送である。40%が一般貨物で、建築材料、文具類、非鉄金属製品、フィルム類、その他と一般貨物は多様である。荷物の割合からみると、食品が多く、食品以外では建材がボリューム的に大きい。

 同社の特徴の1つはアナログ面を重視していること。たとえば配車は「配車板で配車している。紙の方が全体を見ることができるから」(関根会長)という。もちろんデジタル機器による管理も必要だが、運送業は働いている人たちのメンタル面が重要な要素を占めている、という認識なのである。

 関翔運輸は現在、本社の他に千葉営業所(八街市)がある。千葉営業所の仕事は冷蔵車が主体である。さらに今月(9月)から印西営業所を開設した。これは従来、春日部から千葉県内の8カ所の店舗に配送していた仕事を、印西営業所から配送するようにしたもので、8月からの試験期間を経て9月から本格的に業務を開始した。

 同社のモットーは「他社がやらない仕事をやる。できないとは言わない」(関根会長)。会社設立時に仕事を回してもらったりした有難さを忘れない、ということであろう。


株式会社 関翔運輸 求人ページはこちら