「部下」しか使えない社長と「人」を使える社長⑤

「使いこなす」ことと「操作できる」ことの違い


経営者が「使いこなす」という意味では、人だけではなくITなども現在の経営者は使いこなせなければならない。ところが、中小企業の若い経営者の中には、はなはだしく誤解している人をしばしば見かける。

どのような錯覚か。それは、IT機器の代表格といえばパソコンではないかと思うが、自分で機器を上手に操作できることが、あたかも巧みにITを使いこなして経営をしているかのように勘違いしている若い経営者がいることだ。経営者がITを使いこなすということは、自分が機器を操作できるということではない。もちろん上手に操作できた方が、できないよりは良いに決まっている。

しかし、操作できることと、使いこなすということは違う。使いこなすというのは、それによって得られたデータや情報を、いかに経営に活かすことができるかどうかと言うことである。したがって極論すれば、経営者が自分でパソコンを操作できなくても良い。パソコンなどの知識に秀でたスキルをもった社員を使えるかどうか。それによって得られたデータや情報を分析し、経営に有効に活かすことができるかどうかが経営者にとっては重要なのである。

これは経営者だけの問題ではない。社内の伝達などを基本的にはEメールにした企業なども見かけるが、そのような企業の中には、むしろムダが多くなっているように感じるケースもある。

よほどの大企業ならともかく、中小企業では相手の所に言って直接話した方が早くて、しかも正確に意志疎通ができる、といったこともある。つまりアナログの方が効率的な場合もあるのだ。硬直した運用ではなく、その場、その場の状況判断で適宜対応した方が良い。

あるいは、従来は手作業で行っていた業務の仕組みを、そのままツールを替えただけに過ぎないにも関わらず、それで経営が近代化したかのように勘違いしている経営者もいる。ツールが近代化しただけで、自動的に経営内容が改善されたわけではない。ITによって作業時間などが短縮され、効率化した時間やコストをどのように活かすかが経営にとっては重要なことなのである。

このように、経営者はことの本質を見抜く力が必要である。

これも、ある中小事業者の話である。非常に部下に厳しい役員がいた。部外者から見ていても、厳格さを求めていることがよく分かる。部下はそれに忠実に従っていた。その役員は、自分が有能で、だから部下は指示通りに働いているのだ、と思っていた節がある。だが、筆者は危うさを感じていた。

様ざまな経緯があって、その役員が別の会社の社長になった。ところが、その会社では社員が居着かないのである。その理由は実に簡単である。それまでは、「部下」を使っていたからである。部下だから上司の指示に忠実に従って働いていただけだ。

つまり、部下はその上司の指示通りに働いてはいたが、その上司に仕えていたのではなかった。その会社の経営者であるオーナー社長に仕えていたのである。社長に仕えていたら、たまたまその役員が直属の上司である部署に配属になってしまった。そこで直属の上司の厳格な指示に従って働いていただけなのだ。

部下の人たちからすると、不運な巡り合わせだったということになる。しかし、社長に対するロイヤリティが勝っていたから、その上司(役員)の下で働いていただけなのだ。

それに対して、この役員は自分が有能だから部下がついてくると錯覚し、内心では強く確信していたのである。ところが実際は違った。たしかに部下は使えたが「人」は使えなかったのである。そのことは別の会社の社長になって客観的に証明されているのだが、それでも自分では気づいていないのである。ちなみに、以前の会社はその役員がいなくなってから、元の部下たちが生き生きとしてきた。

このように部下を何人使ったかという実績が、人を使った経験があるということとイコールではない。部下を使うのは組織だが、人を使うにはロイヤリティを感じさせる何かが必要なのである。

これは上司だけの問題ではない。社長でも「部下」しかつかえない人がいる。給料日に給料を払っていれば「部下」は指示どおりに動くのである。少なくともその会社に勤めている間はである。給料だけではなく、ロイヤリティでも働くようになってこそ「人」を使うということになる。