「部下」しか使えない社長と「人」を使える社長②

責任を自分で負う社長と責任転嫁する社長


しばしば目にする経営者の責任逃れの最たるものは、業績悪化の理由を景気など外部条件の責任にするケースである。

つまり自分の会社の業績が悪いのは不況などに原因があるかのように話す経営者がいる。そして社長としての自分自身の責任は省みない。それどころか、社長としての自分は、あたかも不況の犠牲者でもあるかのような言動をして憚らない経営者すら見かける。

たしかにその市場で50%以上のシェアを占めている企業なら、景気後退がストレートに業績の悪化につながるかもしれない。だが、その分野で1%のシェアにも達していない企業では、景気変動がそんなに大きく業績に影響することにはならないはずだ。

景気変動はどの事業者に対しても同じように作用する。外部環境は同じなのに、同業者の中には業績を伸ばしている事業者がある。それにも関わらず、業績の不振が景気の責任であるかのように社外で発言する経営者は、第三者の立場からすると醜い。

業績不振を経営環境の責任に転嫁するような経営者は、好況時に会社の業績が伸びた場合には、すべての功績は景気にあると言うのだろうか。そんなことはないだろう。業績が良い時は、自分の経営手腕を誇るのである。

もっとも、景気が悪いから業績が悪い、好況だから業績が伸びた、ということになると社長はいてもいなくても変わらないことになってしまう。社長がいない方がそれだけ役員報酬が少なくてすむ。社長がいない方が会社にとっては良いことになってしまうのである。

もちろん、景気変動が企業の業績にまったく影響しないなどと言うつもりはない。経営会議などで業績を客観的に分析する場合には、景気の影響も含めて、業績を左右するあらゆる要素について冷静に検討しなければならないのである。これは当然のことだ。

しかし、社内で一般社員向かって、あるいは社外で、企業のトップが業績の悪化を景気の責任にするような発言は慎まなければならない。経営環境が企業の業績に影響を及ぼすことは当然だが、そのマイナスをどのように克服して業績をプラスに転じるかが、社長に求められる経営者としての役割なのである。また、それが社長の本来の仕事と言うこともできる。

業績の悪化は景気が悪いからだと、日ごろから社内で言っている社長が、売り上げが伸びないからと担当役員や営業社員を叱ることはできない。なぜなら、営業の業績が伸びないのは営業担当者の工夫や努力が足りないのではなく、「社長がいつも言っているように景気が悪いことが原因ですから我われにはどうしようもありません、政府の責任です」という返事が返ってくるかも知れない。その場合には、はたして何と言って叱るのだろうか。

もっとも、そのようなことは実際にはないだろうが、営業担当社員は心の中でそのように呟いて、社長を見下しているに違いない。

これは社外においても同様である。

運送事業者が集まる、あるセミナーでのこと。質疑応答の時間に、その業界では中堅規模の会社の社長が挙手をして、質問ではないのだが講師に日ごろの憤懣を聞いてもらいたいと話しだした。業績の悪化に苦しんでいるが、それは景気が低迷しているからであり、また行政が適切な措置を取らないからである、といった主旨の発言である。講師も答えようがないので、当たり障りのない応答でその場を何となく終わらせた。

セミナー終了後の懇親会で、筆者がある経営者と話をしていると質疑で憤懣をぶつけていた社長が水割りのグラスを片手に近づいてきた。そして先の質疑の時と同じ話をとくとくと繰り返したのである。

一緒にいた経営者は「◯◯さんのような大手企業でもそうですから、ましてや私どものような中小企業ではなおさらですよ」と、同病相憐むかのように相槌を打っていた。やがて先の社長がいなくなって再び2人だけになると、最初から話をしていた社長が「◯◯さんも社長があの程度では恐れるほどではないですね」と言ってほほ笑んだのである。私も同感の意をこめて無言でニコニコするしかなかった。

実際その後の両社の推移をみると、憤懣を延々と述べた社長の中堅企業は横ばいで苦戦を続け、私と話をしていた規模の小さい会社の方は業績を伸ばしている。

筆者の場合は遠慮せずに、「みなさんにとって、景気が悪いことが必ずしも悪いことではないでしょう。なぜなら、業績が悪い原因は景気が悪いからと責任転嫁し、自分の責任の免罪符にすることができるから…」と辛辣なことを講演で意識的に言うこともある。

すると反応が面白い。あんな奴は二度と講師に呼ぶな、といった表情をする人たちもいる。そのような人たちは講演後に言葉など交わすわけがない。しかし、若手の経営者などは名刺交換にきて、「耳が痛いが、たしかにそのような面がないわけではない」という人もいる。

ともかく、経営者は経営責任を他者に転嫁してはいけないのである。