運営は社長がいなくても大丈夫な会社にする③

すべて社長が指示しなければ動けない会社は大きくなれない


再び車中での話に戻れば、幹部が携帯電話に連絡をして、どのように判断を仰いできたのかを反芻してみると良い。そして、「何々の件、どのようにしたら良いでしょうか」と聞いてきたのなら、「自分で考えろ」と言って電話を切るべきだった、と反省することが必要だろう。さらに、このように判断を仰いでくるような幹部は、その役職にふさわしくないと考えるべきである。

「何々の件について、Aという対応と、Bという対応、それにCという対応があるかと考えますが、どのような対応が良いでしょうか」と聞いてきたら、経営者としての立場から判断するとどの対応がベストかを答えるべきだ。

このように判断を求めてくる幹部は、一般的に言われているように良い人材である。したがって、社長は自身の判断をあえて言わずに、「ABC3案のうち君はどれがベストと思うか」、と逆に聞き返してもよい。そして部下の判断が自分の判断と一致したら、「君に任せる」といえば良いことになる。

もし、意見が違う場合には、「自分はどのような理由によって、こちらの対応方法が良いと思うが、君はどのような理由でそちらの対応の方が良いと思うのか」と聞き返す。このようなキャッチボールによって、それ以外のより良い対応策が浮かんでくるかも知れない。それは会社にとってより良い解決策となる。

往々にして、経営者は自分の意見に忠実に従う幹部や社員を好む傾向にある。これは人間として仕方がない面もあるが、それが会社にとってマイナスになっているという点にも気づくことが重要だ。もちろん、会社としての方針を打ち出した後は、方針に従って全社員が動かなければならない。しかし、方針を決定するまでの過程では、経営者と違う考え方や異論が出てきた方が良いのである。むしろ、様ざまな意見が出されることが自然であり、健全な企業なのだと経営者は理解するべきであろう。

このような基本的認識がないと、中小企業ではどんな些細なことでも社長にお伺いを立てさえすればよい、という雰囲気が醸成されてしまう。会社の幹部がそのような姿勢になってしまうと、中間管理職も同様になる。それも問題であるが、より深刻なのはもっと職階の低い中堅・若手社員のモラルの荒廃につながってしまうことである。

一般社員が職階上の直属の上司に話を持っていっても、そのレベルで判断してよい内容であるにも関わらず、その上の上司に、さらにその上にとお伺いを立てるようになっていく。このような社風の企業では、一般社員が直属の上司など飛び越えて、すぐに判断をしてもらえる人に直接話をもっていってしまうようになる。中小企業であれば、若手の少しやり手の社員などは、直接、社長に判断を仰ぐようになってしまうこともある。

社長も内心でそれを歓迎するために、結果としては、幹部や中間管理職が何も知らないあいだに、社長と特定の一般社員で新しい仕事の話が進んでいる、といったことにもなるのである。このようにして、形式的にはともかく、実質的には社長以下は総て横並びといった組織形態になってしまっている企業も少なくない。

このような企業では、本当に優秀な中堅や若手社員は辞めて行ってしまう。それに対して、ほどほどに仕事ができて要領の良い中堅、若手は中抜きで社長と直結するようになる。その結果、社長のおぼえめでたくして出世をし、結局は、なんでもお伺いを立てるような幹部が再生産されることになってしまう。

このような循環に陥ってしまうと、本当に優秀な人材は辞めていき、ほどほどの人材が登用され、再び「つまらんことでも聞いてくる」幹部が生まれてしまう。それが「社風」になってしまうと、企業は大きく成長することができない。ほどほどの規模のまま、単純再生産を繰り返すだけになってしまうのである。

このように、「どのようにしましょうか」と些細なことまで聞いてこられることに満足してはいけないのである。また、それは幹部が自己の責任を回避しているのだ、ということにも気づかなければならない。

そして、極論すれば、自分がいなくても大丈夫な会社にすることが、経営者としての大きな仕事なのだと認識すべきなのである。