地方の中小事業者を取材で訪ねると、帰りは社長自身が車で駅まで送ってくれることがある。
地方都市では公共交通機関が充実していない。そのうえ電車で行って訪ねる者にとっては、トラック運送会社はたいてい不便なところにある。そのため往きは駅からタクシーで行けるが、帰りは迎えのタクシーを呼んでもらわなければならない。
そんな時、社長に次の訪問客などの予定が入っていれば、社員が送ってくれることになるが、そうでなければ「出かけるついでがあるから私が駅まで送りましょう」といって、わざわざ社長が車で送ってくれたりする。
そして、最寄りの駅や、少し離れるが特急が停まる駅までの間に、車内で様ざまな話をする。外出のついでに送ってくれるという口実だが、実は、経営者には車内という隔絶された空間で話したいことがあるからだ。もちろん会社では応接室や社長室で2人だけで取材するのだが、会社から離れた所で、せっかくの機会だから取材の趣旨以外の話をしたい。日ごろ考えていることなどを聞いてもらいたい、というのが経営者の本心である。
経営者は誰も孤独だ。同業者と本音で話ができないのは当然だが、長年にわたって一緒に仕事をしてきた腹心の部下にさえ本心を明かせないこともある。だが、一方では自分の胸の内を誰かに聞いてもらいたい、という気持ちも強い。ただ話を聞いてもらうだけでも良いし、場合によっては率直な意見を言ってもらいたいということもある。
会社の社長室や応接室で、外部には話が聞こえない環境にあっても、心理的に話しづらいのだろう。その点、車の中ならという安心感があるのではないかと思われる。また、不肖物流ジャーナリストながら、それなりに信頼してもらえるようになれば、いろいろな話の相手として、恰好の第三者たり得るのだろうと思われる。取材という形では、無意識ではあっても身構えてしまい、発言も慎重にならざるを得ないが、雑談のような形なら本音の部分も話しやすい。
そんなことで、車中での会話は様ざまだ。経営環境の変化や最近の業界全般の状況を知りたいというのもある。あるいは頭の中で構想している今後の事業展開などについて、第三者の立場からの意見を聞いて参考にしたい、といったこともある。中には後継者問題や、もっと深刻な会社の方向性などといった内容にまで話が及ぶことすらある。
もちろん、そんなに深刻ではなく単に相談相手が欲しい場合もあれば、中にはただ愚痴を聞いてもらいたい、といったこともある。取材やその他で何度も会っている旧知の経営者になると、会話がプライベートな内容にまで及ぶこともある。
まぁ、もっと軽い気持ちで、要するに普段はあまり接触していないような、毛色の変わった人間と話がしたいだけということもある。さらに、何気ない雑談の中から経営のヒントになるような片言隻句を拾うことができれば儲けものだ。積極的な経営者ほど、そのような点では抜け目がない。貪欲な経営者ほど、いろいろな立場や経歴の人から話を聞いて経営に活かそうと努力しているのである。
以上のように車中での話の内容は様ざまだが、会話がはずんでいる時に、社長の携帯電話に会社から連絡が入るようなことがある。最近は、さすがに運転しながら携帯電話で会話するようなことはなくなった。車を道路の端に寄せて停車してから携帯電話で話をする。
このような時、どうしてもせまい空間なので、聞くともなしに会話の概要が分かってしまうこともある。幹部社員からの電話なのだろうと思われるが、社長があれこれ指示している。
通話が終わると、「まったく、つまらんことまで、いちいち私に聞いてくる」といった主旨のことを嘆く経営者がいる。会社の幹部からの電話が、外部の人間に話しても差し支えないような内容なら、こんなことまで指示を仰いでくる、と電話で指示を仰いできた内容の詳細まで筆者に打ち明けることもある。
そして、「この程度のことは部長(あるいは他の役職)なのだから、自分で判断してもらわなければかなわんよ」、と愚痴るのである。確かに、聞くとはなしに会話が耳に入った限りでは、こうしろと命じながら、その程度のことでいちいち電話してくるな、自分で判断しろとも言っていた。指示を仰いできた内容を聞くと、たしかに社長にいちいち電話をしてくるほどの事ではない、と思うことがしばしばである。
しかし、たいていの場合、「つまらないことまで聞いてくる」とは言いながら、経営者が本心からは怒っていないのだ。何のための役職なのか、困ったものだ、と口では言っているが、心裏的にはまんざらではないようなのである。
このような時の経営者の心理は、やはり会社には自分が必要だ、自分がいなければ会社は成り立たない、といった自己満足があるのではないか。とくに中小企業のオーナー経営者の場合には、細かなことまで指示を仰がれるということに、いわば自身の存在感を確認し、アイデンティティを実感しているようなところがある。自分が総てにわたって指揮していることに心底では安心感と満足感をもっているのである。