耳に痛いことを言ってくれる人を信じよ③

外部からの正当な批判を受け止められる社風


前回とは業種が異なる別の会社の話である。この会社も世界的な規模の会社の子会社であった。やはり同じように社長をはじめ何人もの人に取材協力をお願いした。そして、明らかに大きな課題ではないか、と思われる点について客観的立場から指摘したのである。

記事が掲載された後で、取材の窓口だった役員を訪ねた。

すると、「あの記事は会長や社長はもとより社内で大きな話題になっている。わが社の弱点をあれほど真正面から指摘されたのは初めてで、そんな経験はこれまでなかったことだ。しかし、あの指摘は正しい。指摘された点については、社内でもみんなが分かっていた。だが、誰もが避けていて触れようとしなかった。それをズバリ指摘されたことで、役員会や管理職会議、営業会議など社内の各レベルで、逃げることなく真正面から議論しようということになった。その点では、あの記事は当社にとってありがたかった」と言われた。

しかし、「君以外の記者に書かれたら頭にきて出入り禁止になっていただろう。だが、君に批判されたのなら本望だというのがトップをはじめ社内の雰囲気だから大丈夫だよ」とのことであった。

このように外部からの正当な批判は、企業にとってはありがたいことと受け止めるだけの度量が経営者や企業には必要なのである。

もちろん「非難」に対しては断固として反論すべきであるが、第三者からの「批判」は歓迎すべきなのである。それは、経営者にとって外部からのチェックとなり、独善に陥ることに対しての警鐘になるからだ。

この事例のような優れた経営者には度量と許容力が備わっている。そして経営トップの度量や許容力は、そのまま企業の社風にも反映する。

ある業種の企業経営者の話をもう一つ紹介しよう。この会社はある地方では有力企業である。社長も人格者で、その業界団体の全国組織の副会長もしたことがある。この会社が、ある時、長年の取引先との契約を解除されてしまった。全国的規模の大手企業に契約先が変わってしまったのである。

その情報が、信頼できるあるソースからもたらされた。そこで、さっそく社長に電話で取材の申し込みをしたのである。

すると、そんな情報をなぜ知っているのか、と最初は電話口で驚いた様子であった。だが、次の言葉が経営者としての度量の大きさを実感させるものだった。「その件についての取材なら、私の口からは話したくないので取材をお断りする。しかし、それ以外の内容についての取材というのなら喜んでお会いしましょう」という。

嘘をついてでも相手に会ってしまえばこちらのもの、という卑怯な取材はしたくないし、やらないことを信条としている。そこで、あくまで正攻法でその件でお会いできないかと電話で粘ったのだが、その件では会いたくないという。

そして次の言葉も社長の器を感じさせるものだった。「その件についてなら私は話したくないし、心情としてはできれば記事にしてほしくはない。しかし、あなたが周辺を十分に取材された上で、客観的立場から事実を書かれるのであれば、それは表現の自由ですから、私は書かないで下さいなどとは言いません」というものであった。

経営者は客観的に物事をみることが必要だが、ここまで徹底できる経営者は少ない。