上手な後継者選びが企業の発展につながる ①

人事では客観的と思っていてもすでに主観が入っている


主観が入りやすい経営判断の一つに人事がある。企業トップも人間だ。したがって人をどのように配するかは、人事権を持つ方も人事権を行使される方もどちらも人間なので、人事は最も感情や主観が入りやすい経営判断といえる。

かりに同程度の能力がある部下が2人いるとしたら、フィーリングが合い、また使いやすい部下の方をより重要な部署に配したくなるのは人情といっても良いだろう。これは誰しもが、仕方がないことだと思うかもしれない。

ところが、ここにも陥穽がある。しかも、そのことに気づく経営者は極めて少ない。 同じような能力の部下が2人。したがって、より重要なポストに1人を選ぶとすれば主観が入るのは当然だ。なぜなら社長といえども人間なのだから。そこまでは責められない。

だが、本当にそうなのだろうか? 実は同じような能力の部下が2人、という判断自体に、すでに主観が入っている可能性が高いのである。無意識のうちに1人は厳しく査定し、もう1人はひいき目の感情移入があって「同じような能力」という評価になっているかもしれないのだ。

しかし、そこまで気づく経営者は極めて少ない。

売上高が100億円台の経営者の話である。同社の社歴は古く、この経営者は3代目のオーナー社長であった。すでに亡くなられて10年以上が経つが、まだ元気だったころ、筆者に次のように話した。

「以前から考えていたことだが、60歳になったら自分は社長を辞めようと思っている。そして社員の中で一番優秀な者を次の社長にしようと考えている。もちろん自分の子供に社長を継がせたい、という思いはある。だが、それ以上に優秀な社員がいれば躊躇わずにその社員を社長にする。それが会社にとっても、取引先に対しても一番良いことであり、総ての社員とその家族にとっても良いことだ。しかし、もし優秀な社員と自分の子供が同じ程度の能力だったら、親の心情としては子供を社長に据えたいと思う」

ここまでなら、なるほどと思う程度だ。しかし、同社長の話は次のように続く。「だが、自分では公平にみているつもりでも、子供には親の情が入って無意識のうちに、すでにひいき目にみているかもしれない。その結果として、同じような能力という評価になっていることも考えられる。どんなに客観的に評価しようと意識していても、親である以上は完全な第三者にはなれない。そこで君に頼みがある。そのような時には、第三者として率直な意見を言ってもらいたいのだ」

結果的には60歳での社長交代を実現することができず、この社長は60歳代半ばで社長在任中に亡くなられたのだが、その後は、オーナーの姻戚関係でも何でもない社長が2代続いている。この会社はその業界ではレベルの高いサービスを提供しており、業績も堅実に推移している。現在の社長は、「経営者という仕事に徹することが自分の役割」と自ら語っている。

オーナー経営者の場合、ここまで自分自身を突き放して客観視することは難しいと思われる。この経営者は例外的な存在かもしれない。

そうではあっても、経営者は常に客観的に判断することが重要なのである。