第9回 スター・ウォーズ/最後のジェダイ
第9回 スター・ウォーズ/最後のジェダイ
ドライバー求人サイト、ドラEVERをご覧の皆様こんにちは。或いは、こんばんは。
窓辺のマーガレット、キョウキ・カンバーバッチです。
さて今回は2017年に観た映画を振り返る、年末にありがちな企画を予定していたのですが、先週公開された『スター・ウォーズ』の最新作『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を首尾よく観に行く事が出来ました。その結果、もうこの映画について書かない訳にはいかないだろう、というテンションになってしまいましたので、今日はその事の顛末をお届けいたします。
目下、封切られて1週間を過ぎたばかりという、ネタバレをしてはいけない微妙なタイミングでございますので、まだ視聴されていない方には、以下を読まない事を強く、強くお勧めいたします。
本題に入る前に、ネタバレ防止、うっかり目に入る事故を防ぐ為の空きを作る必要がございますので、少し関係のない話をします。
まず今私が思いますのは、この文章校正をする方がまだ『最後のジェダイ』を観に行っていないにもかかわらず、この原稿をチェックしないとならない立場だったら……という事を考えると心中お察ししない訳にはなりません。
何ゆえ、私めの『えいがかんそうぶん』なんかでネタバレされなきゃいけないのでしょう。つくづく仕事とは大変なものだなと目頭が熱くなってしまいます。
今年は未だ底冷えのような日は訪れておりませんが、ドライバーの皆様も配送作業、お疲れ様です。どんな仕事も責任をもってやれば大変だし、尊い! なんか最近はそんな事を思ってしまいます。
今年も残り1週間と言うところ。早いものですね。来年もどうか、キョウキ・カンバーバッチのえいがかんそうぶんをよろしくお願いいたします。
さ!
もうそろそろ大丈夫でしょうか?
このぐらい書けば、本題に入っても大丈夫でしょう。今一度書きますが、以降、ネタバレを含みますので、読まれる方は自己責任でお願いいたします。
私は前作『フォースの覚醒』があまり好きではありません。
それはとても中途半端に思えたから。
旧三部作にして総ての始まりである『IV・V・VI』はもちろん好きですが、第1作公開と同じ年に生まれた私にとって、当初『スター・ウォーズ』はクラシックなSF映画の名作という位置づけで、本格的に好きになっていったのは『特別編』が公開された辺りだったかも知れません。
分かりやすく、それでいて深い。
それは宇宙における聖書の様でした。
本当に楽しい映画なんです。ライトセーバーの美しさ、ジェダイ騎士とフォースの存在。暗黒面。どれもが魅力的です。
しかし、私が更に『スター・ウォーズ』を愛するようになったのには『I・II・III』の存在が欠かせません。
ご存じの通り新たに作られた三部作はダース・ベイダー誕生の物語。この悲劇的な物語を私は愛していますし、何よりもCGで作られた世界の作り込みが凄いんです! 観た瞬間、これは異常な作品だと感じました。CGなので、実際には何もない。何もないから、何を置いてもいいだろう? とでも言わんばかりに、細かく細かく画面の端々にまでエイリアンや動物が写り込んでいます。『情報の暴力』と私は表現していますが、おそらくこの世に存在する映画の中で、最も一画面における情報量の多い映画作品と言えるのではないかと思います。観るたびに新しい発見がある。本当に異常な映画。その作り込まれた世界の中で、弟子が師匠に女を寝取られたと思って仲違いし、それが結局銀河を帝国のものにしてしまうという、壮大な師弟喧嘩が展開されるのです。これこそがスター・ウォーズ! そう思いませんか?(思わないのかも)
どの『スター・ウォーズ』が好きか、という話はゲームやCGアニメもありますので、世代や好みによって違ってくるところがあると思います。しかしそれでも『スター・ウォーズ』という作品は、ひとつの世界を共有する作品として、ファンはその魅力を語り合ってきた訳です。
これまでは。
ご存じの通り、これまでルーカス・フィルムの作って来た究極の自主制作映画は、ディズニーにその権利を買収され、結果『フォースの覚醒』から連なる新たな作品と、そしてスピンオフ映画が制作される事が発表となりました。
スピンオフ映画については、以前『ローグワン』について書きましたが、こちらは非常に素晴らしい作品でした。本当にエピソード『III』と『IV』の間を観ているようでしたし、制作する側も旧来のファンを裏切らないよう、喜ばせるように作られたのでは、と感じました。こちらは『スター・ウォーズ』史上、悲劇的な傑作として今後も語り継がれていく事でしょう。
しかしそれはあくまでも、スピンオフの話。外伝的な物語の評価です。
では直接的な正史となる『フォースの覚醒』はどうだったでしょうか。
実のところ私は『フォースの覚醒』を『スター・ウォーズ』の続編としては好きではありません。単体の作品としてはとても好きで、ここがややこしいところなんですけど、どうしても受け入れる事が出来なかった。
新キャラクターであるレイも、そしてフィンも、ポーも、皆魅力的です。もちろん、BB-8もね。カイロ・レンはそうでもなかったかな。
新たなキャラクターたちが、新たな冒険に出る。そういう映画としては良かったんですけど、「これが『スター・ウォーズ』の続き?」と考えてしまうと、受け入れるのが難しい。これはもう、本当に心の持ちようでしかないんです。そしてその心のさじ加減は、人によって違う。
僕には、ハン・ソロの死がとても都合の良いものにしか思えなかったんです。
受け入れてしまえば良いんです。
6部作を使って銀河は平和になったはずでは? 少なくとも私はそう思っていましたが、30年経っても帝国の代わりにファースト・オーダーが出てきて、あまり銀河系は平和そうでありません。一体あの戦いは何だったのか?
もちろん、平和のままだったら続きなんて見られないんです。だから、その辺を受け入れてしまえば早い。僕はこれをタイトル通り『覚醒』だと感じました。
過去作への想いをいったん断ち切って、新作を楽しんだ方が楽しいよ、という受け入れる事が『覚醒』なんですね。
で、それをひしひしと感じながらも、何か『フォースの覚醒』は、それを前面に出さない作りをしていたように感じたんです。そこが少し中途半端に思えました。その理由を『最後のジェダイ』を観た後なら理解できるのですが、おそらく旧作ファンにショックを与えないようにだと考えられます。拒絶反応を出さないように作られている。
ハン・ソロを殺しておいてショックを隠す、もないだろう、と思われる方もいると思うのですが、もっとまったく別物にしようと思えばできた筈なのに、『フォースの覚醒』はそれをしなかった。段階を踏んでいるんです。
『ジョダイの最後』。私は『フォースの覚醒』より良い、と感じました。
それは、もう隠してないからです。
前作で『覚醒』したファン向けに『最後のジェダイ』は作られています。
そもそも、もう1エピソードがあるのに『最後のジェダイ』というタイトルも凄いですよね。何故ジェダイを終わらせる必要があったのでしょう? このタイトルの意味は?
では『最後のジェダイ』を少し振り返ってみましょう。
レイは前作で手に入れた地図を頼りに、ルークを探しにジェダイ発祥の惑星へと辿り着きます。そしてルークにライトセーバーを渡す。その後の行動は非常に衝撃的でした。ライトセーバーを渡されたルークは、それを受け取ると、すぐ後方へ放り投げてしまいます。
あの! 激戦をともに通り越してきた! 相棒とも言えるライトセーバーを!
まるで、過去の闘いなど、さして重要ではなかったと言わんばかりの態度です。レイはルークを連れ出そうとしますが、ルークはそれを拒否します。それは彼の過去、この30年間に起こった出来事に起因していました。
カイロ・レンをジェダイの騎士にする為、彼らと数人の弟子を連れ修行を開始したルークですが、ベン・ソロ(カイロ・レンの本名です)の内側に計り知れない暗黒面を感じます。当初レイに、ベンに襲われたと話していたルークでしたが、実際はルークから先に攻撃を仕掛けていました。
無論、ルークには父親の事もありますから、そこに一瞬の心の弱さが現れたのでしょう。
結果としてベンはカイロ・レンと名を変え、フォースト・オーダー、そしてフォースの暗黒面に囚われてしまいます。
このエピソードは、ルークの過去の栄光にすら影を落とすものでしょう。
いったい誰がこの展開を望んだでしょうか。
『覚醒』の最後、ルークはかつてのヨーダのような、最強のジョダイマスターになっているに違いない。きっと多くのファンがそう確信したに違いありません。しかしどうでしょう。私たちの前に現れたルークは、かつての若々しさも消え、未だにヨーダの教えを受けなければならない、未熟とも言える老人でした。
また、白い衣装のイメージが強いルークですが、ミレニアムファルコンに乗る辺りでは黒い、まるで暗黒卿のような服装をしていたり、大切な筈のレイアの危機をフォースで感じ取れない等、彼の精神状態が良くない事は明白で、ルークどうしちゃったの? という気持ちになります。
無論、しっかりとその後、今まで聞いた事もない、自分の残像を遥か彼方の惑星へ飛ばすというジェダイの奥義を使い、夕陽の中大活躍するのですが……それでもルークを英雄視していたファンに失望を与えたのは間違いありません。
さて、それでは本作の主人公、レイは今回どうだったでしょう。
前回大冒険を体験したレイですが、今回はルークの元を訪れていた事もあり、あまり出番は多くありません。あまりに出番が少なくなりそうだからか、カイロ・レンと精神で繋がるという謎の状況が発生します。精神を通わせるうち、少しずつお互いを理解し始めるレイとカイロ・レン。
ルークはレイにフォースの何たるかを教えますが、そこでレイはフォースには暗黒面が必ず必要である事を知ります。
レイはこの状況を打破する為には、カイロ・レンの協力が必要だと悟り、彼に導かれるままミレニアム・ファルコンに乗り込みます。
敵の本拠地へやって来たレイでしたが、あっさりカイロ・レンに捕まり、ファースト・オーダー最高指導者であるスノークの眼前に引き渡されます。そこで何やかんやあって、カイロ・レンはスノークを殺し、レイに向かって一緒に銀河を支配しようと提案します。
そして、私が個人的に驚かされたレイの出生の秘密が明かされるのです。
誰もが、レイは実はルークの隠し子なのでは? みたいな、どこか彼女に特別な出生を望んでいた筈です。
しかしそれは間違いでした。
レイの両親は、安い賃金でレイを売り払った単なるろくでなしだったのです。
レイ自身も実はそれに気がついていました。
気づいていながら、いつか自分の家族が迎えに来る、と思い込んでいたのです。
ここまで来れば、『最後のジェダイ』が何をしたいかは明白です。
前作で意識不明だったフィンは特に何事もなく復活し、冒頭で私たちの涙を誘った兵士の妹である整備士とともに、レイアたちを守る為の活躍をします。フィンは元々ファースト・オーダーのトルーパーでしたが、彼も幼い頃に誘拐され兵士に仕立てられた普通の人間です。当然、整備士のローズもそうです。
普通の人たちが、普通に活躍する。
ローズは何故登場したのか? という疑問も巷ではあるようですが、あらゆる種族の特別な家系ではない人たちが活躍する物語である事が本作では最も重要だからだと私は考えています。
ウォルト・ディズニーはルーカスフィルムを40億ドルで買収しました。
買収する前まで、ルーカスフィルムとはウォルト・ディズニーにとって、どういう存在だったのでしょうか? ミッキーマウスとダースベイダー、ジャンルは違えどキャラクター人気はどちらも相当なものです。
もしもそれを良しと、ディズニーが思っていなかったとしたら?
ディズニーが買収し始めて作られた『フォースの覚醒』は、新しい『スター・ウォーズ』が始まったんだよ、と多くの人の心を覚醒させました。そこへ、『最後のジェダイ』を印象付けようとしているストーリー展開に思えないでしょうか?
今までの闘いは親子喧嘩とか師弟喧嘩が元で大変だったよね、でもさ、そんな特別な人たちじゃなくても皆フォースを持って活躍できるんだよ。
全3部作から既に10年経過しています。ここから見始める子供も勿論多い筈。そんな子供たちにルークはどう映るでしょう? 自分もレイのように、フォースがあるかも知れない。だってあの馬小屋の少年にもフォースのタネはあったんだから!
きっとそんな風に感じた事でしょう。
ディズニーは、これからの子供たちの為に『スター・ウォーズ』を作っています。ルーカスが作った『スター・ウォーズ』の世界をうまく利用して、その人気を少しずつ落としながら、自分たちの新しい『スター・ウォーズ』を提案しているのです。
そういう意図があるのでは? と気づいた時、私にはミッキーマウスとダースベイダー、ディズニーと帝国がダブって見えてしまいました。
おそらく、後10年もすれば、『フォースの覚醒』世代のファンが大多数を占めるようになるでしょう。今ディズニーがやっている事はそういう事なんです。
そう考えるとこの展開も納得がいきますし、むしろ私は受け入れやすくなりました。人気キャラであるハン・ソロは早々に死に、ルークの過ちが描かれ、レイアは謎の力で宇宙空間でも死にません(怖いよ!)。
そして、何の血筋でもないレイは強力なフォースを発揮し、ソロとレイアの息子であるカイロ・レンは悪人のままです(ダースベイダーを模していた仮面を砕くのも象徴的)。
もしこの続きがあるとすれば、レイは銀河中でフォースを持った子供たちに、ルークから最後に教えを受けた人物として重要な人物へと成長し、カイロ・レンと対決し彼を打ち倒す、というストーリーになるでしょう。
ルーカスの作り上げた『スター・ウォーズ』の血筋を途絶えさせるために。
私は『フォースの覚醒』と『最後のジェダイ』はまるで2部作のようだなと視聴し終えて感じました。勿論『エピソード9』にもこれまでの主要キャラは登場するでしょう。ルークの精霊化での登場もあり得ますし、レイアだって生きています。
ですが、大幅に出番は減っているだろうと思います。何故なら、もうほぼこの2作でディズニーがやりたい事はやってしまっていますから。後は真に新しい1本を作り上げるだけです。それで完璧です。タイトルはそうですね、『新たなるフォース』であるとか『新たなるジェダイ』であるとか、『新たなる希望』になぞらえた、新作が始まるかのようなタイトルになるのではないかと思います。
旧作ファンにはスピンオフで対応し、新たなディズニー版『スター・ウォーズ』でこれからのファンを獲得するというのがビジネス上の理想でしょう。
もちろん、ディズニーは民衆心理をリサーチし、それに対応した作品を作るのも非常に上手いので、ファンの反対の声があまりにも大きくなったら寄り戻す可能性も考えられます。しかし今の現状を観ていると、そうはならない気がします。
新しいファン、新しい子供たちの為に、ディズニーは新三部作を制作しているのは明白です。非常に、うまい。ディズニーは凄いとしか思えないです。
「ルークは昔凄かったんだよ」
「でも最後にはミスしたじゃん」
大人たちが良かったというものを、子供たちは素直に受け取りません。自分たちで発見した物が大好きです。レイに、フィン、ポーにBB-8は子供たちの声援に今後も十分に応えてくれることでしょう。旧作が好きだった人たちの心すらもつかみ始めていますからね。
これを納得できないとするより、『覚醒』してしまった方が、皆と楽しめることだって、ファンは知っています。
少しずつ、少しずつ、その勢力は拡大し、ついにはディズニー帝国が銀河系の小さな星のSFを牛耳る事でしょう。
それは誰にも止める事が出来ません。「コーホー」という呼吸音が「ハハッ」という笑い声に成り代わる日は間近です。
もしそれが嫌なら、反乱軍の様に抵抗するしかなさそうですが、厳しい戦いになりそうですね。
私はこういう理由で、そういうところを前面に押し出してきたという点で『最後のジェダイ』を評価しています。だってやっぱり、誰にもフォースがある可能性があるなんて、素敵じゃないですか。そういうとこ、ついてくるのやっぱりうまいんだよなぁ。今回は遠慮がなかった。だから中途半端に思えた『フォースの覚醒』よりも良かったんです。ただ、『フォースの覚醒』からそれを始めていたら、きっともっと受け入れがたいものになっていた事でしょう。そして、この2部作で新しい作品である事を植え付けたからこそ、最終三部作のトドメが効いてくるんです。
もしかすると三部作最後に映る映像は、3つの惑星が重なり合ってミッキーの顔に観える、みたいな映像かも知れませんよ。
そんな訳で、
こちらからは以上です。