第3回 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス

 ドライバー求人サイト、ドラEVERをご覧の皆様こんにちは。或いは、こんばんは。
 窓辺のマーガレット、キョウキ・カンバーバッチです。

 この連載は普段ドライバーとして働いている、もしくはドライバーを求人する方に多く読んでいただけていると思いますので、毎回「よし! 次回は車が活躍する映画を紹介するぞ!」と意気込んではいるのですが、すいません。今回も車とは関係のない映画の話題です。

 そんな事言ったって、映画と車にはそんなに関係ないだろ? と思われる方もいるかも知れません。でもですね。実際のところ、映画と車の関わりは非常に密接で、語るべき事は多いんですよ。

 僕の生涯ベスト10に入る映画『ブルースブラザーズ』にもカーチェイスのシーンがあって、ショッピングモールを破壊しながら突き進むところも爽快そのものだし、多数のパトカーがクラッシュする、クラッシュ台数そのものをギャグにしたシーンがあって、実に最高なんです。

 割とツライ事があった時、好きな映画を観る事で憂さ晴らしする僕ですが、『ブルースブラザーズ』と、『少林サッカー』と、ちょっと違うけど『ブレイド2』何かは観終わった後、とても清々しい気分になりますので、おススメですよ。

 おっと、車と映画の話でしたね。

 今ではすっかり廃れ、なくなってしまいましたが1960年代の初め、日本にもドライブインシアターが誕生しました。今の若い方はご存じないかも知れないので説明いたしますと、郊外の広い敷地に巨大なスクリーンを設置して、車のまま入場し映画を鑑賞する、という文化があるのです。

 アメリカで誕生したドライブインシアターは、第二次世界大戦前に隆盛を極め、家族団欒、幸せの象徴だった時期があったのです。70年代に入る頃には廃れてしまったようですが、その後を継ぐように80年代後半から90年代にかけ、まるでバトンタッチするように日本に広まっていきます。

 近年、総て閉館してしまい今ではそのスタイルでの映画鑑賞を楽しむ事は出来ないのですが、映画を愛する者としては1回でも体験してみたいなと思うところですが、わざわざその為にアメリカの田舎へ行く訳にもいきませんしね。いつか、できたら、と胸に秘めた想いにとどめておきましょう。

 ひょっとすると、これを読まれているドライバーの方には若い頃、休憩がてらにドライブインシアターに入ったとか、幼い頃家族で観た、という方もいるかも知れませんね。今ではすっかり貴重な体験になってしまいました。

 映画と車、という話題になってしまったのでもう少しお話いたしますが、車を題材とした名作映画、たくさんあるんですよ。

 運送ドライバーを題材にした映画としては、我が国には傑作喜劇『トラック野郎』シリーズがありますし、画として動きのある、迫力のある車はアクション映画との相性がピッタリ! ざっと思い付くだけでも『ワイルドスピード』シリーズに、『トランスポーター』シリーズ、そして『TAXi』シリーズと、シリーズ化されている作品が多くあります。

 そうそう。意外に思われるかもしれませんが、ホラー映画との相性なんかも実に良くて、スピルバーグの名を世に知らしめたTV映画『激突!』は、あえて運転手を映さない事でトラックを怪物の様に撮っていました。『激突!』は71年の作品ですが、史上初の本格カーホラー映画は77年に公開された『ザ・カー』だとされています。悪魔に憑りつかれた車が殺人車となって人を襲う話です。それを発展させたかのようなジョン・カーペンター監督の、邪悪な意思を持った車に愛されてしまった男の悲劇を描く『クリスティーン』何かも、どこを切り取ってもB級で愛おしい映画で良いですね。

 ドライブインシアターで上映されていた映画を現代に復活させよう、という企画グラインドハウスでタランティーノは『デス・プルーフ』を撮っています。車の衝突事故でしか性的興奮を得られない男スタントマン・マイクを今回ご紹介する『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』でエゴを演じるカート・ラッセルが演じています。カート・ラッセルは『クリスティーン』の監督が撮った『ニューヨーク1997』でスネークを演じていて……と、この辺なんかリンクしていて面白いですね。この面白さが伝わるかは分かりませんが……。

 他にもB級映画の帝王ロジャー・コーマンが近年リメイクした『デス・レース2000年』とか、語りたい映画はあるのですが、よくよく考えてみたらアクションやホラーの刺激的な車映画は、普段の業務に悪影響を及ぼしてしまうかも知れないので、注意が必要ですよね。安全運転、それが一番大事ですから。

 ですが、ドライバーさん、ドライバーの仕事を求人されている方からのご要望があれば、過激な車映画の魅力についても書くかもしれませんよ。古い映画ですが『恐怖の報酬』とかどうでしょう。少しの衝撃で爆発する薬剤を積んだトラックで悪路を走行しなければならないという、ハラハラドキドキが上映中ずっと途切れないような映画があるのですが、皆さんご興味ないでしょうかね。

 さて、全然今日ご紹介したい『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』の話題にならないので、車の話題はこの辺にしておきますね。

 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』、本国ハリウッドでのタイトルを直訳すると、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOL.2』になります。読んで字の如く、前作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』から続く、第2作目という事になります。

 【ご注意】
 以下、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』についてネタバレを含む内容となりますので、映画未見の方はご注意ください。

 本来こうした映画のコラムというのは、本業のコラムニストの方であれば、映画配給会社から試写会のチケットなりが届き、いち早く映画を観た上でその感想を書くのですが、今のところ私は駆け出し中の駆け出しでございますのでチケットが届く事もなく、今回の題材は何にしよう、と悩んだ挙句、自費で映画を観て参りました。

 今回はご安心ください、字幕版です(※第2回参照)

 例えばチケットが届いて試写会で観た場合、タダで鑑賞している訳ですから、あんまり本当の事を書きづらい、つまり、面白くない映画でも仕事として「面白くなかった」とは余程面の皮が厚くなければ書けない事だと思います。その点私はどこからのプレッシャーもなく、好きな物を好きなように、正直に書く事が出来ます。とは言え、映画配給会社の皆様、私、十分大人の対応もさせていただいておりますので(笑)、試写会のチケット等たまたま余っているようでございましたら、ドラEVERさんまでお送りください!

 そんな自虐ギャグも決まったところで、何故今回私が少ないお小遣いの中からやりくりして、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』を観に行ったのか。その決め手となったのは何だったのか。そこから話したいと思います。

 もうそれは本当に単純な事なんです。前作が面白かったから。コレにつきます。

 突き刺さる映画だったんですよ。世代から何から、とにかく突き刺さる。

 母を亡くしたばかりで失意の少年ピーター・クイルは、1988年拉致され、宇宙海賊の一員として生きる事になります。1988年に地球から拉致された、というのが肝で、彼の地球のポップカルチャーは80年代で止まってしまっているのです。彼の宝物は母親から誕生日にもらったSONY製のウォークマンと、その母が編集した80年代のヒット曲や隠れた名曲が収録されているカセットテープ『AWESOME MIX VOL.1』。命の危険があるにも関わらず、忘れてきたからと取りに戻るような文字通り命よりも大事な物。

 映画はその収録順通り、実際にその場でかかっているという設定で進行します。

 ピーターと同世代の私に、これ程突き刺さる映画はありません。

 ピーターは宇宙に行ってからも遠き地球の事が忘れられず、その為かやや子供じみた部分を残した男性として描かれています。前述したように宝物であるウォークマンに固執し、口から出る喩え話は誰にも通じない子供の頃に見たTVドラマの登場人物だったり。

 これ、もうまさに私なんですよ。

 第1回目の連載時に少しだけ書きましたが、私は普段『シールコレクターズガイド』というシールをコレクションする人を助ける情報サイトを運営しています。80年代に爆発的な流行をし、現代まで続く『ビックリマン 悪魔VS天使』シリーズの大ファンで、今でもシールと名の付くものはできるだけ収集しています(最近は種類が多くて、さすがに総てをフォローする事はできなくなりましたけどね)。結構もう良い歳になりますが未だに大人の会話というものが出来ず、人によっては幼稚と思えるような趣味や、好きな映画の話ばかりしてしまう、そんな男です。

 そういう男にとって、ピーター・クイルことスター・ロードはまさに星の主の如く輝く存在。
 過去に固執する、子供じみた男たちの究極の憧れと言えるでしょう。

 多分本人は、そういう言われ方をしたら嫌がるでしょうが……。

 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は、そんな個人的な共感度MAXの男が、銀河を救う存在になるまでを描いた物語です。『ブルースブラザーズ』や『少林サッカー』と同じぐらい、観終わった後元気になる映画です。

 しかもね、この映画の最後の方に登場するキャラクターがまんま、コレクターって名前なんです。こんな出木杉の話ないですよ。総ての懐かしいものを収集している男の為の映画だと感じました。男は何かに熱中して、それをまっとうしても良いんだ! っていう気にさせてくれるんです。

 その続編、観ないわけにはいかないでしょう?

 80年代。僕の子供時代でもありますが、さて皆様にはどんなイメージがあるでしょうか。

 正直な所、ダサい、というイメージがある方も多いと思うんです。特に日本では、学歴社会の弊害でドロップアウトした少年たちが多く現れた影響で『ビーバップハイスクール』等のヤンキー文化が花盛りとなり、70年代の泥臭いかっこよさともまた違う、かっこ悪い事がカッコイイ、みたいな独特の雰囲気のある時代でした。

 それはアメリカも変わらないようで、80年代の音楽や映画、TVドラマは独特の熱量とダサさを色濃く含んでいます。

 個人的な思い出になりますが、小学校の頃の僕の楽しみと言えば、土曜の夕方頃、TVで放送されていたアメリカのTVドラマを母と一緒に観る事でした。中でも好きだったのは、理系のタフガイが活躍する『冒険野郎マクガイバー』、個性的なメンツがそれぞれの特技を生かして大暴れする『特攻野郎Aチーム』(『トラック野郎』じゃないけど、野郎ってタイトル昔は多かったんです)、そして一際夢中になったのが『ナイトライダー』でした。

 面白いですね。冒頭の車の話題がここにも出てきました。

 『ナイトライダー』は、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』にもカメオ出演するデビット・ハッセルホフ主演のTVドラマで、AIを搭載し会話が可能で、高性能の秘密装備を搭載したナイト2000という車を駆使して主人公が様々な悪と戦う、というストーリーでした。

 そのタフなキャラクターは子供の頃のピーターにも影響を与えたようで、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』では、デビット・ハッセルホフが理想の父親像として登場します。僕も子供の頃『ナイトライダー』を観て「かっこいい~!」と思っていたクチなので、映画館で観ている内、あまりにも自分とピーターの共通点が多すぎて、信じられない気持ちになりました。

 ほんの少しだけデビット・ハッセルホフを映画に登場しますが、実際にピーターの父親である天人(神と同等の能力を持つ宇宙人のこと)エゴはカート・ラッセルが演じています。前述しましたが数々のアクション映画で主演を務める、おそらくアメリカでは日本以上にデビット・ハッセルホフとイメージの重なる、マッチョで強い父親像を持つアクション・スターです。

 アメリカの父子というのは、日本の親子ともまた違った独特の文化があり、息子が父親を超える、という事を非常に重要視しています。このモチーフはあらゆる映画に登場し、近年では『ダークナイト』に代表される『バットマン新3部作』が3作を通して主人公のブルース・ウェインが父親と、幼少期のトラウマを乗り越え、一人前の大人(父親)となってロビンやキャットウーマンたちと自分の新たな家族を作る、という物語に再構築されておりました。

 そういうアメリカの文化的にマストな題材を『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』にぶつけてきた訳です。

 父親を知らずに育ったピーターは「俺は親父とキャッチボールすらした事がない」とエゴを受け入れる事が出来ませんが、ガモーラの説得もあり、徐々にエゴと打ち解けていきます。天人の血を半分受け継ぐピーターがその能力で初めて作ったエナジー体のボールでエゴとキャッチボールを始めた時は、思わず涙が出てしまいましたよ。

 しかし、エゴは良い父親という訳ではありませんでした。

 本当はピーターを利用して銀河全域を自分の星として支配する事を目的としていたのです。

 それに気が付いた仲間たちは、ピーターの育ての親でもある宇宙海賊ヨンドゥも加え、それを阻止しようと動き始めます。

 実はヨンドゥは本来ならピーターをすぐエゴに受け渡す筈だったのですが、子供の運命に気付き引き渡す事をしないでピーターを育てていたのです。その事実を知り、ピーターは自分にとって本当の父親がエゴでも、デビット・ハッセルホフでもなく、ヨンドゥであった事を悟ります。

 とてもグッとくるシーンがあって、ヨンドゥが片腕を上げヤカの矢に捕まって空から降りてくるシーンでピーターはいつもの調子で「メリー・ポピンズみたいだ」と言うのですが、「どういうやつだ?」と聞かれても「魔法使いの乳母」とは気を遣って答えないシーンがあって、ヨンドゥを父親と認めてると端的に感じられる名シーンになっていました。

 しかし、そこからヨンドゥは名誉の為、そして息子であるピーターの為、自己を犠牲にします。

 エゴの星が消え、宇宙に放り出されるピーターと、ヨンドゥ。ヨンドゥは気絶したピーターを救う為ロケット噴射を付けていますが、1セットしかない宇宙服はピーターに付けています。宇宙空間まで逃げてきて、目を覚ますピーター。そこには、宇宙服も着ずにピーターを見守るヨンドゥの姿が。

 暗い宇宙空間の中で、ヨンドゥとエゴ、2人の父親を失い放り出され一人ぼっちになる、あまりにも哀しいシーンです。

 父親を失ったピーターですが、この戦いの中で仲間たちとの更なる絆を深めました。それはもはや、家族と言っても過言ではない絆となっていました。父親を乗り越え、一人前の男になる、このモチーフがしっかり描かれている訳です。

 しかし、それは同時に、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』では特に何ですが、変化を意味するんですね。

 80年代の感性を持ったまま、子供みたいな大人だったピーターが、父親という存在になる事を示すからです。当然そうなると、今のままではいられません。第1作の最後に渡された今回の原題の元ネタにもなってるカセットテープ『AWESOMA MIX VOL.2』ですが、今作のラストでピーターは300曲収録できるというiPODのような音楽機器をプレゼントされます。何だか急激な時代の変化を感じさせませんか?

 今回はベビーとしてかわいく暴れ回ったグルートですが、ラストでは成長し、反抗期に入っている事がちらりと伺えます。第3作、ピーターは完全に父親という立場で我々の前に登場する事でしょう。

 それはとても嬉しい事なのですが、未だに大人子供の私には受け入れる事が出来ないかも知れません。

 300曲収録できても、心には埋められない隙間がある。そんな風に感じてしまうのです。

 今回どういう意図か日本語版タイトルは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』でした。単純に考えると『VOL.2』だと続編だと思って観客が減ることを想定して『リミックス』に変更されたのかな、とは思うのですが、この『リミックス』という言葉が観終わると案外、的を射ているようにも思えるんですね。

 80年代、そんなにカッコいい時代じゃなかったんです。懐かしがるような時代でもない。何も洗練されてなくて、ただただダサい。そんな時代だったのかも知れません。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はそんな時代を、かっこよく、現代風に、それこそリミックスして一つの映画として完成させました。リミックスされているのは80年代という時代そのものなんです。

 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』のエンドロール、わざとやってるみたいにダサいんですよ。まるで、良いように描いてきたけど、本当は80年代ってこんな感じだったよね? とでも言わんばかりです。

 おそらく80年代のリミックスというテーマは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の『VOL.1』と『VOL.2』で監督のジェームス・ガンはやり尽したのではないでしょうか。

 ピーターの成長に合わせて、80年代への憧憬も終わりを告げるのです。『VOL.3』のピーターは多分、80年代の懐かしい事はそのまま好きでいながらも、どこか大人の風格を持った男になってるんじゃないかな。それを淋しいと思うのは、観る側がその変化についていけないからかも知れません。

 80年代、良かったんだよ!
 ダサいのは知ってる!
 けど、懐かしくて、何より、僕らはあの時代にしか逃げ込めないんだ!
 70年代が子供の頃のやつらは良いよな! 90年代も良い! でも僕たちはあの時代を愛するしかないんだ。リミックスしてまでも!

 何度も繰り返し聞いて刷り切れそうなカセットテープと、300曲収録のiPOD、どっちを選ぶ?

 そう聞かれた時、僕たちは何時でもカセットテープを選ぶ事が出来ます。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』がある限りね。

 今活躍するクリエイターの多くが80年代キッズになってきました。だから、おそらく今後もまだ80年代をフューチャーした作品は作られ続けるでしょう。しかし、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を超える映画を作るのは難しいでしょう。

 何故なら、80年代を一つの側面から素晴らしい文化だったとリミックスする切り口、見せ方の映画として『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は最高点であり、到達点なのだから。

 そんな訳で、こちらからは以上です。