第4回 ゾンビ(Dawn of the Dead:1978)


第4回 ゾンビ(Dawn of the Dead:1978)

 ドライバー求人サイト、ドラEVERをご覧の皆様こんにちは。或いは、こんばんは。
 窓辺のマーガレット、キョウキ・カンバーバッチです。

 全国的に暑かったり、大雨が降ったりと、ドライバーさんにとっては大変な季節でございますが、夏バテなどされていないでしょうか? 水分補給を小まめにして、健康第一で乗り切って参りましょう。

 健康第一だな、ってつくづく思うんですよ。話せば長い事なのですが、掻い摘んでここ最近の私の健康状態をご説明いたしますと、先ず、歯が痛くなったんですね。

 口内炎が口の中にゴロゴロできちゃって、「こりゃ何か疲れてるのかな?」と、それでも仕事は休めないですからね。その辺の事情はドライバーさんと一緒です。お医者様にかかる時間もないものですから、民間療法を信じ、気持ち野菜や果物を多めに食べたり、バナナ豆乳が効果ありと聞けば、そんなもの飲んだ事もないのに試したりと、いろいろしていたんですが、まったく治る気配がない。

 「おかしいな」とは思っているのですが、僕は生来病院が苦手な男。身動きが取れなくなるなど、相当悪化しないと診てもらおうとは思いません。ましてや歯。歯医者なんて20年ぐらい訪れた事がありません。子供の頃煮干をおやつにしていた為か、とにかく歯が丈夫なのです(後に、それは勘違いだったと判明;)。

 で、そうこうしているうち、ある日突然。

 口が開かなくなりました。

 もうね、痛いんです。1cm以上口を開けようとすると、口腔内左奥にこれまで経験した事のない激痛が走ります。これはさすがにヤバイ。だってご飯が食べられないですから。急いで歯医者を予約し診ていただくと、親知らずの周辺が炎症を起こして口の中がお祭り騒ぎになっている、との事でした。

 いえ、お祭り騒ぎ、と本当に言われた訳では勿論ありませんが、なんかこう、凄い状態だったそうで、あくまでその喩えではありますが、すぐに親知らずを抜きましょう、という話になりまして、ですがその段取りとして、先ずは炎症を抑えましょうという事になりました。

 お薬などを処方していただき、腫れや痛みもひいて参りまして、親知らずを抜く日が近づいてきます。

 さてここで別の話が割り込んでくるのですが、これも親知らずの一件と同じ先月の事です。私は週末になると、原稿を書く事を口実にして、愛犬に会う為、実家へ戻ったりするのですが、母が健康診断で少し血圧が高いという事を指摘されたとの事で、それまでなかった血圧計が我が家に鎮座ましましておりました。当然「これは珍しい」と戯れに、私も自分の血圧を測りたくなるというのが人情。さっそく、ちょっとウキウキしながら、小さなイベントめいた感じで計測開始。

 そこで出た数値が……高い。

 「血圧高いですね、気を付けましょうね」と言われた母を遥かに超える数値に、強大な敵が目の前にいるにも関わらず「スカウターが壊れた」せいにするフリーザ軍の一般兵士みたいな気持ちになる私(この喩え伝わるでしょうか?)。

 しかし何度計測しても高い。高いものは高い。問答無用に高い。上等なのです。

 正確に申し上げますと、下の血圧がかなり高く、今回の件で初めて知ったのですが、それは心臓から血管に血液が送られた後の血管にかかる圧が強い状態、らしいんです。ちょっと何言ってるか分からないんですけど、とにかくそういうもので、悪いんだそうです。まぁ、簡単に言うと動脈硬化が進行してると、そういう事ですね。

 動脈硬化!! 嗚呼、何て苦しい響きでしょう。その先にあるのは、心筋梗塞! 脳梗塞! 脳卒中! すなわち、死に直結するアレコレ! 下が高いと申告いたしましたが、上は上で変動があるだけでそちらも高い時はかなり高く、上の血圧が高い方がヤバイとの事で、何かのタイミングでポックリ感のある「パソコンのHD今のうちに処分しなくちゃ!」と思ってしまうに充分な数値だと、そういう訳なんですね。

 で、私の悪いところなんですけども、そういう数値が発覚した後も、病院へ行かないのです。そもそも何で今まで血圧が分からなかったのかと言うと、ここ10年ぐらい勤め人ではないフリーでの生活をしていたので健康診断というものに縁がなく、病院嫌いも手伝って自分の状態を知る術がありませんでした。

 さて話は親知らずに戻ります。いざ抜歯という段になりまして、歯医者さんに私はある疑問を投げかけました。

 「血圧が高い状態で抜歯していいのか?」

 実は知人に血圧が高いのに歯を抜くと、血が止まらなくなって大変らしいよ、とご指摘を受けていたのです。念の為歯医者内でも血圧を計測していただきますと、やはり例の高い数値です。歯医者さんは私にこう告げました。

 「これだと少し心配ですので、血圧を下げてから歯を抜きましょうね」

 これ、結構知らない人多いんじゃないでしょうか? 血圧が高いと歯を抜けない事がある、この情報は是非ですね、ドライバーの皆様、ドライバーを求人している皆様とも、いつか役に立つ情報かも知れませんので是非共有させていただきたい。

 でもですね、そこで私はふと思うんです。

 「自分は歯も抜けないほど血圧が高いのか……」

 これは結構ショックな出来事でした。あらためないといけないな。そう思った私はつい先日の土曜日、苦手な病院へ参りまして、お医者様に相談して、減圧のお薬を処方していただいたと、そういう流れになります。

 おそらくですが、ドライバーさんも忙しいでしょうし、生活のリズムが不規則になったりされる事もあるのではないかと思います。そう言えば最近、健康診断してないなぁ、何て方もいらっしゃるかなと思いますので、本格的な夏が来る前に一度気になるところを診ていただいてはいかがでしょう? 健康第一のお話でした。

 さて、これだけの文字数を使って、まったく本題に入ってないのですが、これは映画感想文でした。

 今回は外出先で手軽に観れるNetflixやアマゾンプライムビデオ等、ネット配信の世界をご紹介しようかなとも思っていたのですが、夏という時期もありまして、納涼企画、私が最も好きなホラー映画『ゾンビ』について書いてみようと存じます。

 yahoo!ニュース等でご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、16日映画監督のジョージ・A・ロメロさんが亡くなりました。

 私にとっては相当な有名人であり、説明するのもおかしく感じてしまうような人生で最も影響を受けた方の一人です。

 それゆえ世間的な知名度が私には見えづらく「ロメロ」と聞いてどれ程の読者の方が「ああ、あのゾンビの!」と思っていただいてるかが分からないのですが、彼こそが今回ご紹介する『ゾンビ』を監督された偉大な功績を持つ映画監督なのです。

 彼がいなければ現在大ヒット中であるドラマ『ウォーキング・デッド』の誕生はあり得なかったでしょうし、数々の傑作ゾンビ映画も、そして何千とある愛すべき珍妙なゾンビ映画たちも(死んでいるのに誕生とはおかしい話ですが)生まれてこなかったはずです。

 私は良く公共の場で口を滑らせて「ゾンビ映画が好き」と言ってしまいがちなのですが、ある時などはその場にいた女性に「それはあまり言わない方が良いと思うよ」と注意された事があります。分かります。非常にその気持ちは分かる。

 ゾンビ映画の一般的なイメージ、おそらくそれは現在『ウォーキング・デッド』の影響で多少変わりつつあるのかなとは感じますが、やはりまだまだグロい、食人スプラッタ物というイメージが強いのでしょう。と言うか、もしかすると『ゾンビ』が好き、と『ウォーキング・デッド』が好き、に乖離がある可能性すら否定できません。

 『ウォーキング・デッド』は海外での爆発的なヒットもあり、日本でも比較的好意的に受け入れられています。ゾンビ発生という異常事態下における人間関係に焦点を置いた重厚なドラマは多くのフォロワーを獲得し、シーズン7が放送中の現在に至るまで、その評価・人気は高まるばかりです。終末世界のその先を描き続ける『ウォーキング・デッド』の登場によって、わざわざ映画館にゾンビ映画を観に来る人は少ないだろう、という判断から一時期制作されるゾンビ映画が減ったとも噂される稀有な作品です。

 しかし何故、『ウォーキング・デッド』はゾンビよりも人間たちに焦点が当てられているのでしょうか? その着想の原点にジョージ・A・ロメロの存在があった事は想像に難しくありません。

 僕が『ゾンビ』を始めてみたのは高校生の時。レンタルビデオ店で刷り切れそうなビデオを借りて、薄曇りの平日、カーテンを閉め切って観たのを今でも覚えています。

 それまでの僕の『ゾンビ』のイメージは、一般的なホラー映画と同じでした。それどころか少し下に観ていた節さえあります。腐乱を表現した分かりやすい特殊メイク。肌を灰色に塗っただけで表現できるゾンビのお得感。安易に生み出せるゴアシーン。人が人に食べられるのを見て喜ぶような、低俗なホラー映画だろ? と、さすがにそこまで露骨には思っていませんでしたが、視聴前の自分はそんな感じです。そんな高校生の自分を平手打ちしたい気持ちでいっぱいですが、結局その考えは間違いだった事に2時間後の僕は気が付きます。

 感触が先ず違いました。

 ショックシーンは当然あります。勿論、ゾンビも大量に。

 それでも直ぐに監督が何を撮りたいのか画面の隅々から感じ取る事が出来るのです。

 ゾンビ現象発生(前作『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』)から3週間後の世界。ショッピングモールに逃げ込んだ人間たち。苦労して安全な地を手に入れたかに見えた彼らでしたが、そこへ暴走集団、すなわちゾンビではなく人間たちが攻め込んできて、最悪の結末へと向かってしまうというストーリーです。

 ゾンビたちは生きていた頃の記憶を辿るようにショッピングモールに集まってきて、それはあたかも、消費社会に何の疑問も持たない人間そのものようでもありました。

 そして結局、僅かな物資を争いゾンビたちを自ら招き入れてしまう愚かな人間たち。

 それらには凡百のホラー映画には存在しない哲学がしっかりと根底に流れていたのです。

 視聴当時の私は思春期で、人間不信真っただ中でした。そういう状況の自分に『ゾンビ』のどこか人間批判的な内容がどれほど衝撃的で、どれほど感銘を与えたか分かりません。以来私は『ゾンビ』映画好きとなり、世間では話題にも上らず、ひっそりと忘れ去られていくようなゾンビ映画まで、ゾンビと名が付くだけ、或いは語尾が『デッド』だという理由で観るようになってしまいます。

 ですが、ほとんどのゾンビ映画は、モンスターを安価なゾンビに置き換えただけの低予算のパニック映画に過ぎません。

 ロメロが創造したゾンビを追いかけ追い求めて『ゾンビ』映画を観続けているのに、ロメロのゾンビにはロメロのゾンビでしか出会えないのです。

 念の為に申し上げますが、ロメロの作るゾンビ映画以外にも傑作はたくさんありますよ。『バタリアン』に『ゾンビランド』。『バイオハザード』の1作目、コメディだと『ショーン・オブ・ザ・デッド』。そうそう本作のリメイク版である『ドーン・オブ・ザ・デッド』はゾンビが走ってしまいますが、私は結構しっかり人間を描いていて好きです。

 それでも尚、ロメロの『ゾンビ』は最高傑作であり続けます。それはおそらく、ベースに元となる伝承や小説はありながらも、真に創造的な新しい『ゾンビ』像をロメロ監督自身が作り上げたからに他ありません。

 現在ある総ての『ゾンビ』映画のグローバルスタンダードをロメロ監督が作ったといっても、過言ではないのです。

 批判的で、哲学があって、観終わった後にちょっと説教臭いかな、と思わせる血みどろ映画なんて、ロメロ監督以外の誰に作れるでしょう。自分にとってこの刷り込みは大きく、また、現在までゾンビ映画を評価する一つのベースにもなっています。

 ただ死体が動き回って人を食い殺すだけじゃないんです。そこに”何か”がないとゾンビ映画じゃないんです。

 だから自分が「ゾンビ映画が好き」人目を憚らず公言できるのは、その一言の背景に「人間の愚かさを描き、我々に教訓を与えてくれるゾンビ映画が好き」という意味合いが含まれているからなのです。勿論大半の人にそれは伝わりませんが「へぇ、そうなの……」と伏し目がちになって返答に困る、まるで興味のない人たちにも分かって貰えるかもしれないと思って、私は「好き」を辞める事はありません。

 それにね『ウォーキング・デッド』が流行る時代です。この先何があるかは分かりませんからね。

 さてロメロは68年に『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を、78年に『ゾンビ』、そして80年代に『死霊のえじき』を監督し、それらはゾンビ三部作と呼ばれてマスターピースと化しています。10年おきにゾンビ映画を撮り続けているロメロ監督ですが、90年代は資金繰りに折り合いがつかずゾンビを監督していません。しかし2000年代に第4作となる『ランド・オブ・ザ・デッド(05年)』を監督。ゾンビに少し知性や統率力のようなものが生まれるという設定で、新たな領域に踏み込んでいきます。

 その後、モキュメンタリーのような作品『ダイアリー・オブ・ザ・デッド(07年)』、西部劇のような設定の『サバイバル・オブ・ザ・デッド(09年)』をそれぞれ発表し、その存在感を示されました。

 再びゾンビ映画が撮られるようになった背景には、『バイオハザード』等のゾンビ映画、ゾンビゲームのヒットが関連しているのですが、遺作となった『サバイバル・オブ・ザ・デッド』の翌年から、『ウォーキング・デッド』が始まるのが、何とも感慨深いのです。

 ロメロ監督は『バイオハザード』のCMに関わっていて、この流れを作る一翼を担ってもいるのです。ゾンビを愛し、ゾンビを愛する人々に愛され、リスペクトされ続けたロメロ監督。

 がんを患っていた最近まで、『ランド・オブ・ザ・デッド』の6年後の世界を描いた『ロード・オブ・ザ・デッド』を企画し脚本を書いていたとの事で、今度は監督ではなく製作総指揮のような立ち位置と聞き、お身体大丈夫かなと思っていた矢先の訃報でした。

 『ロード・オブ・ザ・デッド』の方は、ロメロ監督のゾンビ映画で第2班監督を務めていたマット・バーマンさんが監督を務めるとの事で、本作がロメロ監督の息吹が残った最後の作品となりそうです。

 けれど、きっとこの先もゾンビ映画は作られ続ける事でしょう。

 そこにはロメロの遺志を継いだ作品もあれば、ゾンビが受けると思って安価で作られた映画もある事でしょう。ゾンビ自身が消費社会の作品になっては元も子もない。せめて、思春期の自分が受けた衝撃の様な、誰かの心に何らかの、ゾンビの噛み痕を残せるような作品がひとつでも増えればいいなと願ってやまないのです。

 おそらくそれが、ロメロ監督の願いでもあるのでしょうから。

 そんな訳で、こちらからは以上です。