社員満足度調査と賃金体系の再考

~ 一部の事業者で徐じょに進められつつある業界「常識」の抜本見直し ~

M Report 2015年3月号から


労働政策審議会の労働条件分科会の報告書が2月13日に発表された。

同報告書によると、中小企業に働く労働者の長時間労働を抑制するために、月60時間を超える時間外労働の割増賃金率を5割以上にするという規定を、中小企業にも適用することが適当だとしている。中小企業への適用は周知や準備などのために一定の期間を設け、2019年(平成31年)4月からとするのが適当としている。

この報告書を受けて厚生労働省は今通常国会に労働基準法改正案を提出する予定だ。

時間外労働の削減と年次有給休暇の有効活用を柱とした改正労基法が施行されたのは2010年(平成22年)4月1日。改正労基法の最大のポイントを簡単に述べれば、時間外労働の割増賃金率を上げたことである。だが、中小企業には猶予期間が設けられ、2013年(平成25年)4月1日から実施された。トラック運送事業者の圧倒的多数は中小企業なので、時間外労働の割増賃金率が適用されるようになったのは2013年4月からだが、すでに2年が経過しようとしている。

だが、中小事業者の賃金体系をみると、依然として歩合制が主で、給与支払い明細上は適法であるかのように繕っているが、実質的には残業代を払っていないような実態が広くみられる。つまり、中小企業にも時間外労働の新割増賃金率が適用されるようになってから約2年が経過した現在でも、実質的には対応できていない事業者が多いのが実態である。しかも長時間労働(残業時間が長い)の削減はなかなか進んでいない。

そのような中で、月60時間を超える時間外労働には割増賃金率5割以上の規定が厳密に適用されるようになると、人件費の負担に耐えられなくなる事業者が出てくる可能性もある。最悪の場合には労務倒産といったことにもなりかねない。

一方、労働力の確保が難しい状況にある。いかに応募者が集まるような企業になるかが重要な課題である。だが、新規採用にだけ目を向けていてはいけない。応募者が集まる企業かどうかは、同時に、現在働いている人たちの定着率が高いかどうかと関連いている。そして、定着率の高い企業かどうかは、賃金体系にも深く関わっているのである(定着率が賃金体系だけで決まるわけではないが)。このようなことから、最近は社員満足(ES=Employee Satisfaction)を重視する中小事業者が僅かではあるがみられるようになってきた。

◇ 中小事業者でも社員満足度の向上を重視する考え方が拡がりつつある ◇

顧客満足(CS)はトラック運送業界でも以前から知られているし、重視されてきた。それに対して最近は、中小トラック運送事業者でも社員満足を重視しなければならない、という考え方が少しずつだが拡がりつつある(全体からみるとまだ極めて少ない)。

ある経営者は、「自分の会社に不満を持ちながら働いている従業員が、顧客満足度の高いサービスを提供できるはずがない」と、ずっと以前からESを強調していた。ESこそがCSの前提になる、あるいはESとCSはイコールである、という考え方である。

たとえば、いくらドライバーを募集しても応募者が少ないし、やっと採用してもなかなか定着しないというのが現実である。そのような中で、紹介制度を導入している事業者は少なくない。知り合いを1人紹介したらいくらという報奨金制度である。だが、ここで少し考えてみよう。定着率が悪い、すなわち社員満足度が低い事業者の場合、従業員が知人などを紹介するだろうか。自分自身が機会があれば他社に移ろうと考えているドライバーが、親しい人を紹介するはずがないだろう。

ES度が高いということは、従業員の定着率が良いということだ。従業員の定着率が高ければ、定着率の低い事業者よりも人材確保の苦労が少ない。それでも現実には、定着率の高い事業者でも人材確保が容易ではないのが実態だ。だが同じ募集でも全く異なる性格を持っている。定着率の低い事業者の募集は現状維持が目的なのに対し、定着率の高い事業者は事業拡大のための募集という違いである。この違いは大きい。

もちろん、ESを重視するのは人材確保だけが目的ではない。競争に勝ち残るにはCSを高めなければならないが、その実現のためにはESの向上が不可欠だからである。

このようなことから外部の専門家に委託してES度を調査するような事業者が少しずつ現れてきた。東北地方のある中小事業者は、3年前に初めてESを調査した。経営者はその結果に驚いたという。従業員のためにと思ってやってきたことが、従業員からすると必ずしもそうではなかったことが分かったからである。そこでこの経営者は、ES調査の結果を踏まえて、勤務体制や賃金体系その他、社内制度の再構築に着手した。その後も毎年1回のES調査を行っている。

同社で実施したES調査は、アンケートとヒアリングを組み合わせた手法で、外部に委託して行った。会社に対する不満など本音を引き出すためである。社内調査でも無記名のアンケートなら批判的な意見も少しは出てくるかも知れない。だが、上司によるヒアリングでは本音はなかなか出ないだろう。もちろん、外部委託でも100%客観的な結果を得ることはできないだろうが、社内調査よりは本音に近い意見が引き出せる。

だが、外部に委託すると費用がかかるので、費用をかけずに社内でES調査をする方法もある。保有台数が約30台の首都圏のある中小事業者は、10年以上前から不定期に社内でES調査をしている。この経営者も意外な調査結果に驚いたという。

業界「常識」では、長時間労働でも賃金が多い方が良いと思っているドライバーが多いだろうという固定観念がある。だが、この事業者の調査結果は予想外だった。賃金は下がっても勤務時間が短い方が良いというドライバーが、予想以上に多かったのである。

◇ ES向上には働き方の柔軟性と、固定部分の多い賃金体系への転換が必要 ◇

そこでこの事業者は経営方針を大きく転換した。労働時間短縮に向けた取り組みを実施したのである。荷主が求める仕事の時間帯によっては、取引からの撤退も断行した。そのためには一時的な運転資金の確保が必要だが、一定期間内で資金回転などの軌道修正をしながら労働時間の短縮を進めてきたのである。

さらに交代で取る休みの希望などについても社内調査した。すると、それぞれの家庭の事情をできる限り考慮することの重要性が分かったという。たとえば、小学生などの子供がいる家庭では、子供の学校の行事予定を優先して休日を組む。あるいは独身者でも介護の必要な親と同居しているような場合には、ヘルパーの訪問介護日との関係で、休みが取れるような勤務ローテーションが求められること、などである。

やはりES調査の結果を踏まえて、柔軟性のある勤務形態を昨年(2014年)夏から導入した事業者もいる。たとえば夜間だけの勤務、昼間だけの定時勤務、午前中だけ、午後だけなど様ざまな勤務形態の雇用契約である。休日も1カ月前の申告を重視したローテーションを組むなど、柔軟性のある働き方を導入した。過去に辞めていった人の中には、融通のきかない勤務体制が理由だったケースもあることが分かったという。

この事業者は募集広告でも柔軟な勤務形態を掲げている。そのため、柔軟な働き方ができることを理由に、応募してくる人も少なくない。

やはり社内のES調査の結果を踏まえて、歩合制賃金を止めて今年から完全月給制にした東北地方の中小事業者もいる。この事業者もES調査の結果にやはり驚いたという。そのような調査結果も踏まえて、コンプライアンスの徹底を図る経営への大転換を図ることを決意したのである。

同社の社長によると、歩合制の長時間労働で賃金が多いよりも、賃金は安くなっても収入が安定し、労働時間が短い方が良いという回答が約3割もあったという。これは予想外の結果であった。長時間労働でも賃金が多い方が良いという回答がもっと多いと思っていたからだ。労働時間が短い方が良いと回答した3割の中には、皆がそうなのだから労働時間が長いのは仕方がない、と思っていた人が少なくない。運送業とはそのようなものだと観念して、仕方なく長時間働いていたのだという。

もちろん、コンプライアンスを軽視しても、長時間働いて賃金が多い方が良いというドライバーが多いのは事実だ。この経営者は、そのような人はそのような会社に行けば良いと考えるようになった。コンプライアンスを重視する人たちだけの会社にした方が良いという判断で経営方針を切り替えた。そこで完全月給制に移行したのである。

月60時間を超える時間外労働の割増賃金率が5割以上という規定が中小企業にも適用されるまでには、まだ4年ある。だが、そうなっても大丈夫な経営にできるだけ早く移行しておくことが必要だ。